「土地本位主義」が生み出した日本の短い住宅寿命!!

住宅の寿命

 

日本という国は非常に豊かな国ですが、そこに住む日本人は貧しい、私たちはときおりそんな指摘を外国人から受けるのです。日本が豊かなのは日本人が貧しいからだという皮肉な指摘には、残念ながら肯首せざるをえない一面があるのです。住宅環境の貧しさは、さしずめその筆頭といえるでしょう。国富んで、豊かさがなかなか実感できない元凶は住の貧困さにあるようです。「戦後も10年を過ぎて、家さえあれば良いという国民の声が下火になりはしめた。それに代わって住み心地の良い住宅をまじめに考えはじめたのである。住んでみて心がやすまり、安らかな毎日を送ることが必要で、今までのように外見だけ、見栄えがすれば良いというものではない」約50年くらい前に読んだ住宅関係の雑誌にそんな一節があったのを今でもよく覚えています。戦後の混乱から抜け出し、日本人の住宅も雨露をしのぐだけのバラックからやっと住み心地が問われるようになった時代の感想なのです。しかし50年後のいま、「心が安まる住み心地のよい住宅」を私たちは本当に手に入れることができたのでしょうか。

 

多少狭いながらも、また長期のローンは抱えていても、かなり良質で快適な家に住めるようになったほとんどの人がそう思ってきたのです。だが、それが錯覚にすぎなかったことを私たちは阪神大震災によって知らされた訳です。経済一流と浮かれていた豊かさの中身が意外にもろかったことをバブル崩壊が教えたように、二年前の早朝の大きな揺れは、日本人の住宅が実は安全でも快適でもなかったことを改めて白日のもとにしたのでした。いかに見栄えがよくても、いかに日当たりがよくても、いかに家族全員に個室が用意されていようが、清潔で明るいシステムキッチンが整備されていようが、ペシャンコに倒壊してしまったのでは何にもならないのです。住む人を下敷きにしてしまうような住宅の住み心地がいいわけはないのです。住人が安らかな毎日を送れるわけがないのです。

 

※「パナソニック ホームズ」の値引き交渉

※熊本地震に耐えた「ツーバイフォー工法」

 

 

 

「土地本位主義」と日本の住宅寿命

安全でも快適でもないわが国の住環境の貧しさは、どこから生まれてきたのでしょうか。その背景を探ると、実はバブル経済を生み出したものと同根であることに気づく。すなわち「土地本位主義」なのです。戦後の日本経済、日本社会のシステムは長く土地本位制を基軸に支えられてきました。土地の値上がりを前提に経済活動が行われ、私たちの信用も土地という資産によって裏づけられていたのです。土地の資産価値は他の何にも増して確実で、年々、値上がりしていくのが当たり前でした。銀行はその資産価値の確かさを信用し、土地さえ持っていれば企業にも個人にもお金を貸してくれたのです。逆にいえば、土地の担保がなければ融資は受けられなかったのです。それほど土地を本位として、また地価の上昇を前提に、私たちの経済や生活はこれまで営まれてきたのです。多少のリスクや矛盾があっても、右肩上がりの地価が飲み込んでくれたのです。金融機関の不良債権問題にしても住専問題にしても、地価さえ下がらなかったら、いまでも不祥事や経済のゆがみとして表面化することはなかったでしょう。そして、わが国の住環境の貧しさ、住文化のゆがみもまた、この土地本位主義がもたらしたものなのです。

 

 

「土地本位主義」が日本の住宅をダメにした!!

マイホームは人生最大の買い物ですが、その大半は土地なのです。場所にもよるが、土地と建物の資産比率はおよそ7対3くらいにもなるのです。資産価値の七割は底地が占めているのです。これでは一般には「地面」を手に入れるのが精いっぱいで、その上に建つ家の質までは手がまわらないのです。資産の中心は土地で、その上に建つ建物はあくまで添えものとなっているのです。将来にわたって庶民の資産を保証するのは、右肩上がりの神話に支えられた土地であり、土地さえ確保していれば安心だという土地偏重の住環境のなかでは、住宅を大切にしようというまともな意識は育ちにくいといえるでしょう。

 

土地重視とは、裏返していえば建物軽視なのです。日本人は土地重視のあまり、私たちが人生の大半を暮らす大事な「器」である家、家族の生活の基盤となる住宅を軽視し、粗末にしか扱ってこなかった事実があるのです。住宅に求めるものは、せいぜい外観や内部の見た目や高級感であり、安全性や耐久性を資材や構造のレベルから吟味し、真に快適な生活を長く営んでいける、高品質、高性能な良質な家をつくろうとする姿勢に欠けていたのです。長く快適に住むために、メンテナンスやリノベーション・リフォームを怠らずに行い、家の資産価値を保持しようという住意識には極めて乏しかったのです。長いローンを組んでも、その大半は底地の確保に費やされてしまい、建物の安全性や快適さに投資する余裕はなくなってしまうのが実情です。しかし、粗末なうわものでも、とにかく我慢して住んで、狭くなったり古くなったら、それこそ土地を担保にお金を借りて、また建て替えればいい・・・そのスクラップアンドビルドが土地の資産価値の高さを資金的に保証してくれる・・・・皆がそう考えていたのです。

 

土地は財産であり投機対象でもありますが、その上に建っている住宅は取り壊しの対象でしかな買ったのです。つまり住宅はあくまで「消費財」、フローの償却資産としてしか扱われてこなかったのです。私たちは土地神話を担保に、家さえ消費財として使い捨ててきたといえるのです。台風や火災による消失が多く、家といえども長く維持できる恒久資産ではないとする日本人特有の「無常観」も、建物への執着を弱くし、家を消費財として扱う習性に拍車をかけていた面もあるでしょう。

 

このように土地本位主義をベースにした、土地を偏重して建物を軽く見る戦後のゆがんだ住環境が、わが国の住宅をダメにしたのです。土地が高いから「家」が貧しいままだったのです。バブルとともに土地神話が崩壊し、土地の資産価値が下がるデフレ時代になってみると、夢から覚めたみたいに、改めてうわものの貧しさが明らかになった訳です。そして大規模地震がさらに、その住宅の質の低さを浮き彫りにしたといえるのではないのでしょうか。

 

 

平均寿命25年の住宅が、ライフスタイルを貧しくする!!

家を消費財として扱う建物軽視のあり方は、当然のことながら家の寿命を短くするのです。ある起業のデータによれば、住宅の平均寿命はアメリカが85年なのに対し、日本は23年と極めて短命なのです。日本の住宅寿命は非常に短いのです。この原因を、日本独特の風土や木造住宅にだけ還元してしまうのは誤りといえるでしょう。日本では木造住宅は約25年で減価償却するものと決められており、何を根拠にしたものか、「20年もてばいいのだから」といった短命常識が一般の消費者にも業界にも流通してしまっている現実があります。

 

20年しかもたない家に住んでいたら、人生80年時代、一生のうち何度も家を建て替えることになる計算にとなるのです。そんなことが資金的に可能か。また、地球資源や環境破壊の点からもそんなぜいたくが許されるものか。さらには、築後25年たてば、地震で倒壊してしまってもやむをえない「老朽住宅」に分類され、あたかも車や家電製品と同様の評価となっている現実もあるのです。車や家電製品は確かに私たちの生活を形成する一部ですが、家はそれとは同列のものではないのです。生活の重要な土台であるはずなのです。

 

その生活の基盤が「耐久消費財」であっていいものなのでしょうか。そもそも耐久消費財という分類はいかなるしろものでしょうか。耐久と消費は本来、相反する要素で同居できない条件といえるのです。長持ちする使い捨て商品といったほどの意味のつもりが、耐久性に富んだものだからといって、それだけで長持ちするわけではないのです。やはり大切に扱ったり、性能維持のための手入れを怠らないようにしなければ耐久財といえど長持ちするものではないのです。建てっぱなしで50年も100年ももつ建物など、どこの国にもありはしないのです。家を個人の消費財ととらえて、生活基盤あるいは社会的資産として考えないところに、日本の住宅が短命である最大の原因があるのです。

 

家という生活基盤が短命で不安定であることは、そこに住む人のライフスタイルの不安定さにもつながってくるのです。これは非常に明白です。結婚してすぐに住宅を建てるのは、若い二人にはとうてい無理なことで、まずは親と同居するか賃貸住まいによって頭金づくりに励み、30年、40年という長期のローンを組んで、やっとマイホームを購入するのです。しかし、子供の成長とともに家は手狭になり、増改築が必要となってローンの上乗せをしなくてはならなくなるのが関の山です。子供が一人立ちしたころには、家のいたみが目立ち始め修理をひんぱんに行わなくてはならず、やがて「寿命」がやってくるのです。退職金でローンの残りをやっと払い終えたころには、もう建て替えの時期−それが一般的な現状なのです。家の購入で一生を振り回されるのです。家のために働き、家のために稼ぐのです。本来、家を持つということはゆっくりとくつろげる、落ちついた生活の場をつくることにほかならないといえるでしょう。しかし住宅ローンと子供の教育費に大半の出費がかさみ、その資金づくりに汲々として、仕事に追われて家にいる時間もないのが実情です。家は寝に帰る単なる。「ねぐら」と化してしまうことも珍しくないのではないでしょうか。

 

家族が家で過ごす時間は日本が世界で最も短いという、笑えないデータもあります。これでは何のために家を建てたのかわからないのです。つまり、短命な家が日本人の生活スタイルの貧しさをよんでいるのです。住まいの貧しさが、そこに住む人の生活の質を貧しさを助長しているのです。